登校拒否のテクニック
最近、V-netには既存の学校には通いたくないという幾人かの子供たちが、勉強を習いにきております。いわゆる登校拒否の問題ですが、そうした悩みを相談にこられる保護者の方々も、年々増えているようです。
彼らの多くは特に問題もない、むしろ優秀な生徒です。1対1の指導であるせいなのか、色々な話をしてくれますし、逆に教えられた内容を理解する能力も高い。どうしてこんな優秀な子供たちが、学校制度からは排除されなければならなかったのでしょうか。
登校拒否は、そのケースごとに様々な理由、状況がありますが、総じて言えば、いよいよ顕著なものとなってきたこの国の学校制度の空洞化が、問題増加の根底にあるとも言えるでしょう。学級崩壊などの問題も含め、そこでは生徒はもちろん、保護者、そして教師も被害者です。
もっとも、てなことは、もう20年以上前から言われていることなので、今後も現行の学校制度は、ますます空洞化を進行させながらも、ズルズルと延命していく可能性の方が高いのでしょうが・・・。
いま20年以上前、と書きましたが、実はちょうどその頃、かく言う私も立派な(?)登校拒否児でありました。
そこで昨今の相談件数を鑑み、やや古い話ながら、学校に行かなくなってしまった十代当時の私の経験を何回かのブログに分けて紹介したいと思います。
もちろん私は国語講師であり心の専門家ではありません。「テクニック」などとタイトルに冠してはおりますが、これは酒席で飛び出したジョーダンをもとにしたもの。個別的なアドバイスや本当に「技術」を語るようなものではありませんのであしからず。
ただ、昔の自分が経験したことや、当時の悩みなどを紹介することで、現実にいま悩んでいる子供たち、そして保護者の方々のちょっとした参考になればと考えた次第です。
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今からおよそ20年前。私は14歳の少年でありました。
陸上部に所属し、学校の成績はまあまあ。はた目にはどこにでもいる「普通」の少年でありました。
では、そんな「普通」の少年が、どうしてある時から学校に行けなくなってしまったのでしょう?
もちろん、そうは言っても、およそ20年前の記憶です。明確に当時の感情を覚えているわけではありません。
ただ、一つ言えることは、当時の私が非常に「疲れていた」ことです。
何に「疲れていた」のでしょうか? もちろん勉強もあります。私は塾には通っておりませんでしたが、母親は当時、比較的「教育ママ」でもありましたから、それなりにウルサク言われていたのでしょう。
ただ、実は勉強がしんどかったという印象はそれほど強いものではありません。
むしろ、私がいま思い出してもうんざりするのは、学校での「人間関係」でした。
中学生にどんな大変な人間関係があるんだ、と言われてしまうと、現在オッサンである私には返す言葉がありません。会社員の方などの職場その他での人間関係の大変さが、中学生の比でないことはオッサンの私には自明です。
ですが、そんな大人になってからの大変さなど、当の中学生にわかるはずもありません。逆に言えば、普通の大人であれば持っている職場以外での社会的な人間関係の広がりや、経験により培われた視野の広さなどが中学生にはないのです。
一般的な中学生にとって、学校での人間関係は生活の大部分を占めるものであり、その意味で学校とは社会そのものでもあります。そして、少なくとも他者とのコミュニケーションを苦手とした当時の私のような少年にとっては、そうした閉鎖的な社会の中で「うまくやっていく」のは、決して簡単なことではなかったのです。
現在のおしゃべりでお調子者の私を知っている方々からすれば、お前のどこが他人嫌いやねん、と突っ込まれそうですが、中学二年生当時の私は、たしかに、どちらかというとシャイで、友人と遊ぶよりも家で一人本を読んでいることの方が好きな少年でした。
そういう少年からすると、休み時間ごとに繰り返される級友たちのバカ騒ぎにつきあって、何の興味もないTV番組の話題などに話をあわせることは、相応に「疲れる」ことでした。特に集団行動を学ぶという名目の下に行われる各種の行事は、はっきり言って苦痛以外の何ものでもありませんでした。
こうして私はだんだんと学校生活に非常な「疲れ」を感じるようになっていきました。
そうすると、最初は二次的な問題であったはずの勉強にも「疲れ」が出るようになります。こんなことやってて、本当に意味があるのか、と思うようになっていきました。わざわざ学校で退屈な授業を受ける必要があるのか、とも。
級友たちのちょっとしたからかいの言葉にも敏感に反応するようになります。私は別にいじめられてはおりませんでしたが、中学生同士ですから、こぜりあいの一つや二つはあります。そんな場合でも、私は突発的な怒りを示したり、逆に深く傷つき、いつまでもウジウジとそのことばかり考えるようになったりしました。
そこには思春期特有の自意識の発達もあったでしょう。あるいは今ふうに言うなら、軽度のうつ状態だったのかもしれません。
こんな状態が続いた末、ついに私は学校に行けなくなったのです。
きっかけは椎間板ヘルニアに罹ったことです。といっても、今から考えれば、これは詐病、あるいは精神的ストレスを原因とするものだったのでしょう。なかなか中学生の罹る病気ではありません(とはいえ、現在に至るまで私が腰部と頸椎に痛みを感じやすいことは事実ですが)。
学校に行かないための言い訳だったとも言えるでしょう。朝や深夜、私は腰部に強い痛みのあることを訴え、ずるずると学校を休むということを繰り返しました。心配した両親は病院にも連れて行きましたが、もとが精神的な問題なのですから、治るはずもありません。
学校を休みがちになった私にとって、学校はますます居づらい場所となっていきました。最初は週の三分の一ほどを自宅で過ごすようになり、やがてはそれが週の半分となり、そしてついには一日も学校に行かなくなってしまったのです。
さて、やや長々と書きすぎました。続きは次回ということにいたしましょう。
次のブログでは、完全に登校拒否に陥ってしまった後の私の生活、そしてその後、私が学校とは全く関係のない外部の「人間関係」によって救われていった話などを紹介したいと思います。
By IMADA



